2001年12月の全摘手術から 丸1年が経過しました。

●1年後検診 2003.1.17
 〜内容〜  簡単な問診、内診(超音波) 触診 肛門からの内診

 〜私の場合〜 右卵巣に水が溜まっていて 5cm大の腫れが見られるとのことで血液検査により
           腫瘍マーカを計る。結果は、CA125=9.4で全くの良性、経過観察となる
           (参考:CA19−9=2.1,SCC(扁平上皮癌関連)=1.0)

           4月4日  3ヶ月後の経過観察 内診(超音波)により、腫れは一時的な物だったらしく
           消えていて、左右卵巣とも正常な形である事が判明。
           希望があれば、健康診断を兼ねて経過観察を続けますか?と訊かれ、
           職場の健康診断でも外部エコーを受けるので、経過観察しませんと答える。
           これで私の長い1年が終わった。


〜始まる〜

           手術をした年(2001年)の秋頃は、歩いただけで息が切れ、階段が登れなかった。
           もともと貧血体質だったせいだろうか。筋腫は、全然小さいのになんでこんなに苦しいんだろうと
           本に書いてることは、あてにならん!とイライラピリピリしていた。
           予後も、2002年3月まで3ヶ月、傷のほんの一点が化膿したまま直らず、医師に歩きなさい 
           歩くことで、癒着を防ぐのですよと言われていたが 歩くと傷が擦れて治りが遅くならないか心配だった。
           実際に、傷を触っても違和感、痛みが無くなるのにやはり半年はかかった。
           傷は、電気メスの痕だから、やけどの傷に一番似ているのだそうだ。
           流行りの股上の浅いジーンズが多い中、下着はモチロン、そんなのもう、はけないだろうなぁなんて思っていた。

           そんな私が、丸1年を経過して、喪失感から来る混乱もなんとか治まりつつあり、そして3年ぶりに
           伊豆の田舎から東京の知り合いを訪ねるまでに元気になった。
           生きていること、生きていくことを実感する不思議な1日を過ごせたのである。
           どんなに歩いても、息もきれず、体温調節がうまくでき、ゆっくり座って話が出来る。
           去年、術後半年で オフ会へ参加したが、その時は同じ経験をした仲間とだったので、
           お互いが大体体調がわかる仲だから、多少心配があっても無理を言えるからということで参加した。
           だが、今回は自分から逢いに行くと言って出かけ、東京を横断するような感じで色んな所を
           歩いて見て回ったのだ。体が、元気になったと実感した。
           新しい人生が始まった気がした。



(真ん中がうちの子、両脇がweb仲間の大切なファービー:浜離宮にて コチラをどうぞ)



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