その後の経過について
●1ヶ月検診
2001.12.20に腹式子宮単純摘出手術を受け、27日の退院診察の際、1月22日に
1ヶ月検診の予約をし、受けてきました。
<内容>
内診(かがるように縫ってあった膣の入り口が、きちんと閉じているかどうかの確認)
表面の傷跡の状態の確認
これからの生活の指導(入浴の許可が下りる。腹帯はまだ、締めておいたほうがよい等)
一年後検診のすすめ(一年後の中、外を合わせて傷の確認。卵巣ガン検診を受けること等)
その時、医師がカルテを見ながら説明してくれたのですが、カルテを見てドッキリ!ε=ε=┏(
T 0 T)┛
カルテには、摘出前、おなかをパックリ切り開いた状態の写真が貼ってありました。そして左右ふたつの
繭のような卵巣を指さして、『 あなたの卵巣はこのように健康です。この健康を保つため、卵巣ガン検診
を受けて下さい 』と指導してくれました。が、ひとめ見て、『 ? 』何の写真・・・!・・・と私は考えて
しまいました。写真の説明が少し、欲しかったです。自分の内臓をしっかり見てしまいました(≧∇≦)
●暮らし
1月はまだ寒くて、冷えると腰の力が抜け、ひょろひょろ歩きでした。少し傷も身体の中側が痛みました。
でも、癒着防止の為、出来るだけ動き、疲れたら充分休むようにしました。
職場へは、1月9日から復帰しました。8時〜16時45分のところを、8時半から16時までで、3日間務め
様子をみて、次の週からは普通に戻しました
●傷の異変とその経過
2001.12.31 最初の出血。タテキズ13cmのうち始まりから5mm下のあたりに、針で刺した
ような穴が空いて、そこから出血。消毒し、オロナイン軟膏を塗り様子をみる。翌日には、治まっていた。
大丈夫かな?とひとまず安心する。
2002.1.11 腹帯に黄色いシミを見つける。ビックリして夕方だったので、外来へは電話できない
ため、直接産婦人科病棟へ電話をつないでもらい、看護婦さんに指導をもらう
●38度以上の高熱が出なければ、消毒して絆創膏をあてておけば大丈夫とのこと。
消毒し、様子をみる。翌朝、ひどくかゆく絆創膏を取ると、穴から膿みのような物が勢い良く何度か吹き出す。
本当にビックリする。でも、熱もないので、また、消毒して、新しい絆創膏を貼る。
化膿止めの薬のカプセルのついた絆創膏を10日貼る。表面が、灰色に変化し、ふさがりかける。
1ヶ月検診を迎え、医師もコレくらいなら大丈夫と言ってくれる。安心した。ホッ・・・・
2002.2.05 風呂上がりに、傷を何げに見る。キラリと濡れてみえた。緑のような灰色のような変な
光り具合だ。もしや!思い、そっとティッシュを宛てると、また、化膿した赤向け状態に戻っていた。
2002.2.07 ズキズキしだしたので、職場の医務室の看護婦さんに、内服の化膿止めを処方して
もらう。サワシリン、2日分。これを服用し、ズキズキは消えるが、赤向け状態は、治らず。
2002.2.13 再び職場の医務室の看護婦さんに相談する。傷を見せ、今度は外傷薬をもらう。
ゲンタシン軟膏(抗生剤の入った軟膏)を使い始める。1日、一回の交換で2週間使うが、変化ナシ。
どんなただれた傷も治す優れた軟膏なのにおかしい。不安になる
2002.3.01 思いきって再診を受ける。手術に関係したことはすべて、産婦人科へ行くように
言われているので、別の皮膚科でも外科でもなく、市立病院へ行く。ゲンタシン軟膏を持参する。
医師に経過を話し、傷を診てもらう。
●回答
・ゲンタシン軟膏を使用したのは、正しい。(『 持ってるじゃん! 』と言われてしまった)
・しかし、塗り方が間違っていた。私は、カットバンに薬を塗り、貼り付けていたがそれでは、傷がむれて
いまい、乾かずいつまでも治らないとのこと
・開腹部には電気メスを使用しているので、傷跡はいわばやけどのあとのようなもの、こんな副作用も
時としてあるのだ、とのこと
・膿のような物が出るが、化膿しているのとはまた、違うと医師は言っていました。
・消毒し、傷に軟膏を綿球等で塗り、通気性のよいガーゼを当てておくだけでいいとのこと。
2002.3.02 確かに、カットバンの時より、蒸れずに傷が乾いて調子はいいが、かゆみはある。
膿のようなものもまだ出ている。でも、一点の穴から、2,3mmに広がった傷がふさがりかけた。
今度こそ治る気がしてきた。術後2ヶ月、身体がとても軽くなり、寒さにも強くなってきた。
歩く速度も速くなってきた。新しい季節が、始まろうとしている